アルコール依存症の親を持つ 成人済ACのブログ

親のアルコール依存症問題と、自身のAC回復を願って。

後悔する

私と同じように、肉親のアルコール依存症に悩んでいる人は

いったいどんな苦労をしているんだろう。

私と同じようなことを感じたり、もっとひどかったり

もっと希望が見えたりするんだろうか。

 

そう思って、ほかのかたのブログを読んでみた。

依存症だった父がすでに亡くなって、もっとできることがあったんじゃないかと後悔されている方。

これはIさん夫婦と同じだろう。

 

それと、長らく絶縁していた弟さんが依存症の挙句に脳出血で倒れ、

それからずっと面倒を見ていらっしゃるお姉さんのブログ。

アルコール依存症のなれのはて

 

これは今現在も依存症の本人は生きている場合だから、共感できる部分があるかなと

思って読み進めてみたんだけど

 

よくケンカにならず、本音は言わず、面倒を見ているなと。感心する。

私はちょっとでも母に酒の気配がしたらイライラするし、悲しいし、とにかく自分が動揺する。

でもこの方のブログは淡々と、行動を記録しているのか

ドロドロした内面があまり見えない。それはすごいと思う。

 

淡々と症状や、費用や、経過を描いていることで、余計に依存症患者の悲しい姿が浮き彫りになる。

 

私の母は、依存症レベルとしてはそこまでではないと思う。

先日、住民健診で血液検査もした。

検査の前一週間は、確信犯なのかほとんど酒を飲まなかったので

γーGDPの値は、基準値を少し超えた程度だった。

 

Iさんは「かえってそれで安心して飲んでしまうんじゃないか」と心配なさっていたが

母は狡猾だから、死なない程度に飲むのがうまいのだ。

じゃなきゃ、もうとっくに死んでいると思う。

素面の時は健康食オタクみたいなものだ。なのに依存症だ。

 

すでに亡くなってしまった依存症の肉親への想いなどをつづったブログを見ると

母が早く、お酒をやめてほしいと思うけれど

私の想いとはうらはらに、母は結局アルコールに救いを求める。

 

私がどんなに言葉を尽くしても届かない。

 

一人暮らしで、60歳も過ぎて、孤独だから飲むのだ、というので

孤独に関する本を借りてきて、参考になる個所を書き写して渡したこともあった。

 

孤独だというから、毎日、顔を出すか、行けないときは電話を数回する。

 

自分は別に行きたくはないけど、母が喜ぶから食事に誘う。

 

自分は用事はないけど、母が喜ぶから遠くの街まで買い物に行こうよと誘う。

 

土日はテレビがつまらない、というので一緒にレンタルDVDショップへ行く。

 

こっちに引っ越してきて、半年母の家に居候して、住まいを見つけて

また母が一人暮らしに戻ってから、私なりに努力して

母が孤独でないようにサポートしてきたつもりだ。

 

でも、一緒に外出して母の家まで送り、私たちが帰ったあと呑むのだ。

 

毎日顔を出しても、電話をしても、昼間から呑むのだ。

 

一緒に暮らしていた半年間だって、「ここは私の家なのに」とか散々言われた。

 

それでアパートを借りようとしたら酔って大暴れした。

 

 

私には子どもがいる。

 

酔って暴れる肉親の恐怖など、絶対に、我が子には見せられない。

 

あの恐怖感を、我が子にも体験させるわけにはいかない。

 

私は、自分の経験のせいでいまだに、家の外でどこかの酔っ払いが

楽しく酔っているだけでも、その声で心臓がバクバクして、眠れないのだ。

 

酔っ払いのろれつの回らない大声が怖くて怖くて、仕方がない。

 

布団にもぐって、耳をふさいでも聞こえてくる両親の怒号と破壊音。割れる音。

ドアを激しく閉める音。

耳をふさぐけれど、母が怪我をしないか心配で眠れるわけがない。

 

やっと静かになったと思って台所へ行くと、割れた食器の数々。

 

自分の部屋でぐしゃぐしゃになって泣いている母。テレビの前で黙り込む父。

 

弟は、どうしていたんだろう。

 

四つ年下の弟は、きっと私よりも鮮明に覚えているに違いない。

 

弟の記憶の中に、平和だった家族の思い出などあるのだろうか。

 

今、弟も二児の父だけれど、私が二十歳で家を出てから、弟が結婚して家を出るまでの間にいろいろあったんだろう。

 

私が家を出るまでは、どちらかというと母の味方だったのに

結婚直前くらいからは、私以上に母を嫌悪している。

 

彼の中にも、アルコール依存の澱が黒々と溜まっているんだろう。

 

こういう家庭に生まれ育ったことにも、意味があるというんだろうか。

 

救いはあるんだろうか。