アルコール依存症の親を持つ 成人済ACのブログ

親のアルコール依存症問題と、自身のAC回復を願って。

父のこと。見える角度。

泣くのも、ACのセラピーになるかな。

 

自分でいうのもなんだけど、ほんとすごい家庭で育ったと思う。

 

夜中に夫婦げんかの音で目を覚ましたら、泥酔して手首を切った母が枕元で泣いていて、小学生の私が、母をあやして手当したり。

 

ちょうどその時期、クラスメートの両親がバイオリンだか、楽器ができるというので

学校で演奏会を開いた。

感想文に「わたしの両親はなんのとりえもないので、うらやましい」と書いたら、

「親に向かってとりえがないとは何事だ」とものすごい勢いで罵倒されたり。

 

 

小学校低学年の時には、母が数か月家出をして行方不明だった時に、

こどもながらに不安で、ぽろっと先生に今、おかあさんがいない、という話をしたら、母が帰ってきたあとの面談で先生がその話をしたらしく

帰宅した母に「世間体がどうのこうの」とひどく叱られたりした。

 

母のクレイジーな言動は、掘り起こせばいくらでも出てくる。

排泄物はいじらないで、トイレに流さなければいけないけれど。

 

 

父は、母が酔って絡めばカっとしやすかったが、あまりものを壊したりはしないし

せいぜい声を荒げるくらいで、怒りに任せて母を殴るとかそういうことはなかった。

したがって、母が顔にあざを作ったことなんか一度もなかった。

一度だけ、しつこく絡まれて母を突き飛ばして背中を怪我させたことがあった。

 

そういえば、あの時も母はものすごい自分が被害者みたいな言い方をしていたが

泥酔してしつこくしつこく、絡んでいたのは母のほうだし、

ものを壊したり、手を出すのもいつも母のほうだったと思う。

 

父と一緒に、割れたガラスをよく拾った。

 

悲惨な思い出は、枚挙に暇がない。かわいそうなこどものころの私。

 

 

 

でも、もちろん、よい時もあった。

 

父はよく、週末や連休には私たちを屋外のレジャーに連れ出してくれた。

 

川に行ったり、海に行ったり、大きな公園や、山にも行った。

 

動物園やお祭りにも行った。

 

バブルの時代には北海道一周旅行を2週間、行ったこともある。

 

私が高校生くらいになると、あまり家族でどこかに行くこともなかったが

神社仏閣めぐりが趣味だったみたいだ。

観音様とかの顔を見ると、ほっとするらしい。

 

 

でもたいてい、家族で出かけるときは母が不機嫌なのだ。

 

それで喧嘩をする。外出前からもめている。

 

喧嘩の原因はいったいなんだったんだろう。

 

母はいつも、父は家庭を顧みないと言っていたけれど

商社マンという仕事柄、接待で遅くなるのはしょうがなかったと思うし

 

一度、なぜそんなに帰宅が遅いのかと聞いたとき

接待で飲んだ後、一人で飲みなおしたいのだ、といった気持ちもわかる。

 

ただし父は、家ではほとんど飲まなかった。

お歳暮やお中元でもらった高価なブランデーなどを、たまにちびちび舐めているくらいだった。

 

父が接待のあと呑み直しにいくのは、オネエサンのいるお店だ。

だから、入店しただけで諭吉が飛んでいく。

 

アフターなどもあったかもしれないけれど、あまり嫌悪感はない。

だって自分が夫だったら、泥酔して下着も汚して寝ている妻など抱きたくない。

 

 

父は世間では相当に稼ぐほうだったから

自分のお小遣いでこれをしているならまあ、問題はないと思う。

だって、私たちはごはんが食べられないとか、学費が払えないとかで困ったことはないのだ。おもちゃが買ってもらえないとか、水道やガスが止められたことなどもちろんない。

家にはシャンデリアもあった。ピアノもエアコンも、テレビやビデオは複数あった。

 

 

ただ、父の問題はだんだんとお金の計算が出来なくなっていったことだ。

自宅ではバレるので、オネエサンのいる店のツケの明細書を会社あてに送らせていた。

 

毎日、諭吉が出ていくようなお店に通えば、一か月の料金はそれはそれは

大変な額だ。

 

それを複数消費者金融から借りては、別のところに返し、とぐるぐるやっていた。

 

気づいたら、退職金以上の額の借金になっていたのだ。

 

そのうちの400万くらいは、私が酒癖の悪い母から逃れたくて、

地方の大学でぜひ行きたいところがあると言って、払ってもらったものだ。

でも一人暮らしをしたら転がり込んでいたDV男の被害がひどくなり命の危険を感じて

一か月も通わないで辞めて、実家に戻ったのでこれはまったくのムダ金になった。

 

この時、DV男のことはまだ両親に言えなかったから

「大学生活が思っていたのと違った」とかそんな理由を言ったと思う。

これは父には申し訳なかったと今も思うが、父はため息をついただけで

私をあまり責めなかった。

 

 

最近、思うけれど、母は現状に 常に 不満を持っている人間だ。

 

たとえば、五体満足でいられることを感謝できない。

 

朝起きて、生かされていることや、今日も事故などなく家に帰ってきたことや

たとえば、自分のこどもが突然の事故で死んだりしていないこと

ごはんがおいしいことなどに、感謝の気持ちが持てない人間に見える。

 

彼女なりに感じているのかもしれないが、基本的に口を開くと

他人の悪口や批判と愚痴と不満だらけだ。

 

昔は、夫婦げんかを見ると母がかわいそうだと思っていたけれど

今は、母は父の何がいったい不満だったんだろうと思う。

 

母は家庭的な夫がほしかった、というけれど、

有名大学を出て超有名企業に就職するような男が、家庭的になるほうが珍しいんじゃなかろうか。

そのぶん父は、世間一般の父親より、ものすごい金額を稼いできたし

(結婚して今の夫の収入と比べると、それはそれはすごい額だ)

 

確かに家にいない人ではあったけれど、母のいう「家庭的でない人間」と

私の思い出の中の「週末にはあちこち遊びに連れて行ってくれる父」が合わない。

 

確かに土いじりとかしないし、食べた食器も片づけずにテレビの前にばかりいた父だけれど、

ああいうタイプの男には、母親のようにかいがいしく世話を焼く妻で良かったんじゃなかろうかと思う。

 

まるで、自分で犬を捕まえてきたのに、この犬はニャーと言わない、と言って

大騒ぎしているように、今は見える。

 

時間というものは素晴らしい。

 

昔はあっちからしか見えなかったものが、今はこっちからも見える。

 

父は存命だ。

 

多額の借金と、お金の計算ができない状態が改善できなくて

父の実家や親せきも巻き込んで大騒ぎになってから、絶縁した。

 

6年くらい前の話だろうか。

それからは会っていないし、

父一人になったあの大きな家にも帰っていないけれど

少しだけ、父に連絡を取ってみたい気持ちに、最近はなっている。