怒りはどこからくるのか
昨日母に頼まれたことがあったので、その件で朝電話した。
するとさも痛々しい感じで、先日ぶつけた足の小指が腫れて痛いと訴える。
しらんがな。
「昨晩バカやってぶつけた」って白状したじゃん。
また酔ってぶつけたんでしょ。自業自得じゃん。
そうして電話を切ったあとも、フツフツとわいてくる怒り。
ここに私の妄想も入る。
母は他人の同情を引こうとして、あまりにもあっさり嘘をつくことができる。
わたしも最近になって、目の前で嘘をつくのをみて初めて知ったんだが
今回みたいに酔ったうえでの怪我を、まるで自分の生真面目な性格に起因する怪我のように他者に嘘をついて、同情を得ようとするのだ。
以前も酔って友人宅のトイレの出口で転んだのに、
「電話が鳴ったから、急いで出ようと思って転んだ」と言って
真実を知る由もない他人から同情されていた。
意味が分からん。嫌悪感。反吐が出そう。
どこかで、【平気でうそをつける人間は、そうしないでは生きてこられなかった可哀想な人】みたいな記述を読んだけど
全然可哀想と思えなかった。
きっと他人だったら、『そうとう悲惨な過去で、孤独だったんだな』とか思えるけど
下手に親だから、
きっと私の中で【親は尊敬される立派な存在であってほしい】という願望とバッティングして、同情できないんだと思う。
こうして書いていたら、自分でもうんざりするような怒りの感情や
口には出さなけれど、いつかは母にぶつけてやりたいと強く思うようなひどい言葉。
どこからこんなに沸いてくるのかと思うような罵詈雑言がだいぶ落ち着いてきた。
こうして書くという行為は、わたしのような文字の好きな人間には
大変、向いていると思う。
さて、母の依存症問題を考えていてある本を買ってみた。
「禁酒セラピー」アレン・カー
いつもAAとかのサイトを見ていた身としては、最初からAAの批判から入るので
結構新鮮な視点が多い。
まだ全部読んでないけど、本人も依存症であったということなので
酒なしでいられない人間の身に非常に寄り添った、それでいて冷静な文章だと思う。
最後まで読んだら、母に渡したいが、感情的なやりとりになりたくないので
第三者(母のことを心配している第三者はいっぱいいる)も一緒にいるときが
いいかもしれない。