死なない程度の依存
電話してみたら、昨夜も酔ってケガをしたらしい。
足の小指を強打して腫れてるとかなんとか。
私だって冷静に居たいけれど、電話の最初の声だけで
今どんな状態か、わかる。
あきらかに酔っていたり、影響が残ってるときは不機嫌になるし、その奥は悲しい。
だから今は悲しい。
それから、母が決して酔っても死んだりはしないような自制心?がはたらいているいうのが腹立たしい。
節制、節酒なんかしないで
ドカーンと怪我なり、内臓壊せば即入院できるのに、そうならないように無意識にかコントロールしているようなのが
腹立たしい。
そうね、死んじゃったら飲めないもんね。
死んだりしない程度にしとかないと、飲めないもんね。
なんて姑息なの。
それも、病気のひとつなんだろうか。
ところで、いつも母に電話するとき番号を押す前に考える
もし受話器の向こう側が、酔っていたら
冷静に対処できるのか
私が飲酒をなじったり、たしなめるとそれはそれは
お怒りになって大変だ。
だからクールに、愛情をもったふうで
また明日ねっていって、切ることができるか
いつも自問する。
でもいっそ電話なんてしなければいいのに
私も母に依存しているのか。
それとも心配しているのか。
どっちなんだろう。誰か教えて。
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