アルコール依存症の親を持つ 成人済ACのブログ

親のアルコール依存症問題と、自身のAC回復を願って。

DV男 ~7終

私には4歳下の弟がいるが、彼のケータイにもKからのメールや着信が何度も来た。

 

夜中に、家の前を走っていく車のエンジン音がした。

 

Kの車はメジャーではない国産スポーツカーで、マフラーも変えてあるから音でわかる。

 

私はこのエンジン音で心臓がバクバクして、窒息しそうになり、涙が出るようになっていた。

 

警察には、ちゃんと絶縁宣言してきたことを報告し、普段から自宅周辺のパトロールを強化してくれると言っていた。

「今から行くからな」というメールが来た、と震える声で電話したら

すぐ警官を向かわせます、と言ってくれた夜もあった。

 

ケータイはいつ着信があったか、メモを取るように言われていた。

 

解約するまでは、メールも数分おきに来た。

「電話に出ろ」から始まり「悪かった、許して、もう殴らない」「仕事する」

「一緒にいるっていったじゃないか」「おまえが必要だ」などなど。

 

酔って、誤字だらけのメールが来たこともあった。

 

Kは完全にストーカーだった。

 

 

絶縁宣言をしたとき、自宅には数週間前にKが乗ってきたままガソリンがなくなって

乗り捨ててあった原付バイクがあった。

 

Kはほとんどバイトもしなかったから、私か、親か祖母がガソリン代を出さなければ

車も原付も乗れないのだ。

 

バイクは敷地の外に出しておくから、取りにこいとあらかじめメールを入れてあった。

 

ある晩、バイクを取りに来た音がした。

 

顔を合わせるのが怖くて、窓も開けられなかった。

 

Kと知り合って4年目の冬だった。

 

住宅街の中の、うちに用事がなければ通る必要もない道を

時々、あのエンジン音が通った。

 

Kのストーカー行為は結局どれくらい続いただろう。

 実際は三か月くらいだったかもしれない。

 街で同じタイプの車のエンジン音を聞いても、落ち着いて息ができるようになるまでに1年かかった。

 

結局、Kに名義貸ししたケータイ代金は一度も支払われることはなかった。

絶縁宣言の後しばらくして解約したから、Kからメールは来なくなった。

 

自宅の電話は常に留守電にして、声を聴いてから電話に出るようにした。

無言電話がしょっちゅうだった。

 

エンジン音は完全にトラウマになって、夜など家の前を通られると息が出来なくなった。

今でも、他のスポーツカーと聞き分けられる。

 

「あいつが家の前を通った」とメールすると、Gは深夜でも、私が落ち着くまで、

電話口で「大丈夫、今はもういない」と言ってくれた。

 

その後、私は、Gのいる東京まで出ることになる。

 

半年かけて引っ越し資金を貯めて、ようやく家を出ることになったのは、21歳の春だった。

 

 

実は、約1年後、実家に帰省した時、偶然に街でKを見た。

別れた時と同じような服を着て、自転車で、本屋からアルバイト雑誌を片手に出てきたところだった。

私は弟の運転する車に乗っていて、反対車線側に本屋があった。

 

弟は「だまって前見てろ、気付かないよ」と言った。

私は過呼吸で涙目だった。

パニックは再発する。

心の傷は目に見えないから、自分でもどう反応するかわからない。

 

 

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ここまでの話を、わりとすらすらと書いたけれど

DVの被害に遭っている人に、なにか参考になればいい。

 

あの時は、とにかく殴られないように、相手の機嫌を損ねないように

そればかり考えていた。

 

でも、今はなぜ、あんな男と一緒に居続けたのか自分でもわからない。

 

人生にやり直しがきくなら、17歳~20歳という人生の最高の時期を

もっと健全に過ごしたかったな、と思う。

 

でも、これもまた、苦しいけれど必要な経験だったんだろう。

 

Kのことがなければ、Gにも出逢えなかったし、Gに出逢わなければ

夫にも出逢えなかった。こどもにも。

 

 

もし、同じような状況にある人、とくに恋人からの暴力に悩んでいる人がいたら

どうか冷静さと勇気をもって、相手から距離を置いてください。

 

あなたの人生は、相手のものではないし

ましてやあなたの体は、相手の自由にさせていいものでもない。

 

抵抗することは、怖いけれど

いつかこんな風に、過去の話として話せるときがくるから

どうか勇気をもって。

 

でも決して無茶はしないで、まずは味方になってくれる第三者を探してください。