アルコール依存症の親を持つ 成人済ACのブログ

親のアルコール依存症問題と、自身のAC回復を願って。

毒親?

ブログ村に登録しているので、自分の登録している「アルコール依存症」カテと

「AC」カテのブログを時々のぞいたりする。

 

AC アダルトチルドレンのカテゴリーに入っているブログを見ると

 

たいていは、自分はACになってしまった。親のせいだ。

あれは毒親だ。

ということが書いてある。

 

気持ちはわかる。

 

私も、母が酔っているときは真剣に、早く死ねばいいのにと思う。

 

過去記事にも、これまでの恨みつらみみたいなものをダラダラ書いた、みっともない記事もある。

 

でも、今現在、母がアルコール断ちをして、マトモでいる状態で

 

母の話を聞いていると、多少グチっぽい人だなとは思うけれど、

そこまで「毒親」とは思わない。

 

かつて親のスネをかじって暮らしていた頃は、過干渉な部分があったり

逆に無関心なことがあったり、色々色々、ヘドが出そうなこともあったけれど

 

総じて彼女が「毒」親であったのかなーと思うと、100%そうでもなかったと思う。

 

 

私も出産して、人の親をやっているけれど

 

親になったからって、教科書的マニュアル的に完璧な対応とかできるわけではないし

むしろできていることよりも、できていないことのほうが多いと毎日思っている。

 

こどもに呼ばれて「はあい?」って優しく笑声で返事できるのが理想だけど

実際はまたなにか要求するのか、と思って「ああ?」ってキレぎみで返事することが多いし

 

毎日のごはんづくりだって、健康を守ってあげたいと思う気持ちはすごくすごくあるけれど

その気負いが逆にプレッシャーになって、料理作りすら苦痛になっていたり

 

たぶん、50歳60歳になった私からみたら

「もっとラクに、楽しく、肩の力を抜いてやればいいのに」って思うことばかりだと思う。

 

もちろん自分は、夫婦仲もまあ円満だし、経済的にも余ってはないけど食べていけるお金はあるし

体も健康で病気もしていないし、相対的に見て幸せなんだろうと思う。

 

だからお酒に逃げることもないし、こどもを殴ったりもしない。

 

母は日常的にお酒に逃げて、お酒が趣味で、人生の相棒みたいになっていたけれど

 

私はそうではない。

 

 

でもでも、もしかして

あと10年くらいして、思春期になったこどもに

「毒親だ」って思われたら、悲しい。

 

こんなに必死こいて、平常と正常を保とうとしているのに

評価が「毒親」だったら、って考えたら悲しい。

 

 

ACカテにブログを書いている人が、過去や現在に親になにをされて

なにに傷付いたのか、さかのぼって読んでいないから知らないし

たぶん読むこともないけれど、

 

親という人を非難し、拒絶し、呪うことで

必死に自分を保っているように見える。

 

もちろんそのくらい追い詰められているんだろうけれど(自分も数週間前はそうだった)

その姿は、やはり、悲しい。

 

 

 

最初に書いたけど

私は母が酔っていたら、こっちの気も知らないで、マジで死ねよと思うけど

 

心の深いところでは、母を許していると思うし

許さないと、自分がしんどい。

 

怒りや悲しみと言ったネガティブな感情は、ある程度したら手放していかないと

自分がしんどい。

 

 

人間はどんなつらい体験も、時間の経過とともに少しずつ詳細を忘れていくようにできている。

無意識レベルでは覚えているだろうけど、意識、表面的に出てくることはだんだん減る。

 

それは、忘れていかないと、精神が崩壊してしまうからだ。

 

先日、古い写真の整理をしていて、母と一緒に写った写真がけっこうあることに気が付いた。

 

特に中学生くらいまでは、一緒に笑って写っている写真がいっぱいあった。

 

なのに、自分の記憶の中では、私はずっと、母を憎んで憎んで、恨んできたと思っていた。

 

どこでそんな風に、記憶が書き換えられてしまったんだろう。

 

これは記憶の修正が必要だ、とアルバムをめくりながら、考えた。