アルコール依存症の親を持つ 成人済ACのブログ

親のアルコール依存症問題と、自身のAC回復を願って。

自伝?のこと

こどもたちに、いつか読んでもらってもいいかもしれないと思って

 

自伝?を書きたいなと思っています。

 

私自身のことは親も知らない、夫も夫に出逢う前のことは知りません。

 

私しか、わたしが経験してきたことを知らないのはちょっともったいないな、と思って

文章にできないかな、と思っています。

 

字が汚いので手書きは苦手ですが、幸いタイピングは得意だし好きです。

 

もしかしたら、ここに少しずつ、書くかもしれません。

また1年ぶり

前回の更新から、ものすごく時間が空いてしまいました

物理的に母から距離があるのはとても気楽です。

2018年3月に、母の近所の借家から、夫の実家に引っ越したのです。

 

前回どこまで書いたでしょうか。

 

還暦をとうに過ぎた母の、3歳年下の弟が亡くなったのが2018年末

母は、一人取り残された実母(私の祖母)をどうするかで、飛行機で何時間もかかる実家へ戻ったそうです。

 

結局わたしは母の友人のHさんを介して、叔父が急死したことしか知らされず

実母には「全部おちついたら話す」と言われたまま、18年3月末に前に住んでいた町に旅行に行きました。

 

娘の仲良しのお友達にあったり、なじみの場所で遊ぶためです。

 

19年のお正月。

母は弟を火葬供養し、お墓をたたみ、祖母を引き取り、文字通り背負って自分の家に戻ったそうで

1LDKの小さな母の家の寝室に、無理やり祖母用のベッドがおかれ、杖がおかれ

仏壇代わりの小さな箱が壁にかけてありました。

箱の中には私が2歳の時に肝硬変で亡くなった祖父と、わずか60歳で自殺してしまった叔父の位牌が入ってしました。

 

叔父は自殺でした。

幼いころに大病をした叔父は入院生活が長く、当時事業をしていて金持ちだった祖父は病院から出られない叔父の欲しがるものはなんでも買い与え、甘やかした結果、世間知らずの甘ったれになったのだ、と母は良く言っていました。

 

叔父の入院生活は年単位で、その間、3歳上の母は親戚の家に預けられたり、家で一人で過ごしたりしたそうです。

でも母は虚言癖、誇大癖があるのでどこまで真実か、もう祖母に聞かないとわかりません。

 

叔父はもともと身体が弱く(精神的にもですが)体力もなく、自律神経失調症統合失調症と診断され、わずかな障害年金と祖母の年金で食いつないでいました。

 

家には叔父と祖母しかいないので、だんだんとトイレにも行けなくなり、風呂にも入れなくなっていく祖母の介護をして、祖母には罵倒され

少ない収入は祖母がほぼ全部ネコのことに(祖母はいわゆる迷惑猫ばあさんでした)使ってしまい、疲れ果てて遠い実母の家にリフレッシュのために一週間ほど滞在したら、留守の間に祖母があることないこと、民生委員さんに話してしまい

結果、もともと少なかった障害年金が減らされ(「旅行できるんだから働けるでしょ」と)

タクシー会社の清掃の仕事で働いてみるも体力が続かず、、むしろ体を壊して寝込んでしまい・・・

 「睡眠薬はたくさん置いてあるから、その気になればいつでも死ねるんだ」と言っていましたが

2018年末にとうとう「もう疲れた、放っておいて欲しい」と言って自室に引きこもり、一切の飲食をやめてしまったそうです。

 

三日ほどして祖母に?発見されたみたいです。

 

叔父の人生とはいったい何だったのか、と姪の立場から思います。

流行りのスーツに身を包み、頭をリーゼントになでつけ、おしゃれだった叔父。

 

一度は調理師としてまともに職にもつき、交際した女性もおり、実はこどもも出来たそうですが、結婚もしないまま別れた無責任男でした。

 

30代くらいで、もうひきこもりの人生でした。

 

ガンダムゴジラとテレビゲームの好きな「男の子」から成長できないままの人だったのかもしれません。

 

 

 

 

祖母には19年3月、実に25年以上ぶりに逢いました。

祖母は昔のおもかげそのままに、より年を取っただけだったのですが

私は少女からオバサンになってしまったので、祖母は「○○ちゃん?顔がちがう」と

困惑しているようでした。

私が連れて行ったこどもたちのほうが、祖母にとっては面影ある孫の姿だったと思います。

 

その日は、母がずっとお世話になっている友人のHさんも来て、みんなで楽しく時を過ごしました。なるべく長時間一緒にいないようにしたので、あっという間に母の家を後にしました。

ときおりわたしから近況を尋ねると、答える形で軽い付き合いが続きました。

 

そのうちに私は3人目を妊娠、出産しました。

2019年末のことです。

 

そして20年1月頃から中国武漢新型肺炎のニュースが入ってくるようになり

政府のチャーター機が飛び、あれよあれよと緊急事態宣言が出たりと

忙しい今年。

 

本当は6月に、赤ん坊をみせに、また娘の仲良しのお友達と遊ぶために前いた町に行くはずでした。

 

2019年の1月に祖母を引き取り、3月に逢いに行ったときは一緒に暮らしていた母。

 

コロナが心配で再び連絡を取り始めたのが20年3月初旬ごろ。

祖母はもう母の家に居ませんでした。

 

いつから居ないのかもよくわからないのですが、同居はうまく行かなかったようです。

母の話しか聞けないので事実が不明ですが、とにかく今はどこかの施設に預けられてしまっています。

 

発覚したのは産後。

生まれた3人目の(祖母にとってはひ孫)のちいさくてかわいい写真を渡したい、というと「病院にいる」

驚いて詳細を尋ねても「一緒に住んでいない人にはわからない」「あの人は頭がおかしい」「弟が言っていた意味がよくわかった」

「なるべく接触しないように(施設の人に)言われている」などといって、写真も手紙も取り次いでくれないし、施設の名前も場所も教えてくれません。

 

質問方法を変えても、頑なに教えてくれません。 

絶対なにか私に知られたくないことがあるのでしょう。

 

この調子だと、次に祖母に会えるのはお葬式です。

コロナのせいでそれすらも無理かもしれません。

 

 

コロナの問題がオオゴトになってきてから、実母と、実父と連絡を取り始めました。

といっても生存確認で、毎朝子供たちの写真を送る程度です。

 

一時期は、自粛でお互い暇だったので母とずっとLINEを交わし続けるような日々が続いたのですが、そうすると「呑み始めた」ことに文字だけでも気付いてしまうようになったので、しばらくしてからやめました。

 

今は通知もオフにして、朝と夕方だけ定時連絡しています。

 

今年はどうなるかわかりません。

 

祖母が亡くなる前もう一度あいたいとは思いますが、旅行の予定が立てられません。

 

祖母はいまどこにいるんでしょう。

祖母はなんで、母の家から追い出されてしまったのでしょう。

 

Hさんにきけばたぶん事情を知っていると思うのですが、この方が電話に出られそうな時間帯はこちらが忙しいのでなかなか連絡できずにいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分がそうなる

そうそう。

忘れないうちに書いておきます。

 

基本的に自分は呑まないようにしているのですが

たまにビール一本くらい呑みます。

でもビールは炭酸なのでおなかがパンパンになりますね。

 

酔うと私はだいたい饒舌になります。

その頃考えていたことをベラベラベラベラしゃべります。

それは政治の話だったり、動物の話だったり、色々なのですが。

 

で、たいてい夕食の時に呑み、お風呂に入って抜けてシラフに戻ってしまいます。

ちょっとつまんないなーと思いながら、魔法が溶けた感じを理解します。

 

最近、泡盛をストレートで呑むことを覚えました。

といっても泡盛はとても度数が強いで、コップにちょっとです。

それをグーっと呑みます。たいていは夕食作りの前です。

高揚した気分で夕飯を作り、べらべらと喋り、またお風呂に入って魔法が溶けます。

 

ところが、泡盛はアルコール度数がきついので分解するのにたくさんの水を必要とします。

呑んで、お風呂に入るので体はちょっと脱水して居ます。

で、そのままあまり水を飲まずに寝てしまうのです。

 

これで昨年の終わりころ、胃をちょっと痛めました。

 

そもそも、「夕飯を作るとき」に呑むのは危険です。

私の母も、最初はそれでした。

次第に昼間から呑むようになり、夕飯の時間には酔いつぶれて動けなくなっていることが増えました。

 

実は最近、かわいがっていたペットが死んでしまい

精神的に不安定です。

 

それでちょっと、自分が怖いです。

 

コップに泡盛を入れるときの罪悪感。

呑んでいる時の「これで楽しい気持ちになれるぞ」というひそかな期待感。

 

台所にはビールも、泡盛も、買い置きがあります。

 

気を付けなければいけない時期にいるみたいです。

怖い。

父のこと

たぶん、以前にもここで紹介したことがあると思うのですが

アルコール依存症のなれのはて

 

このブログを始めたころ、同じような境遇にいる人の気持ちを知りたいと思い

いろんな方のブログを覗きました。

 

その中で、特にこの方のブログが、もうどうにも胸を打って、今日

久しぶりにのぞかせていただいたのですが

『この国が簡単にアルコールの買えない国だったら』と心底から思いました。

 

なぜ家族というだけで、こんなにつらい思いをしなければならないんだろう。

 

本当に理不尽です。

 

私はアメリカの医療ドラマが大好きで何度も繰り返し見るのですが

アメリカは酒に加えてドラッグも蔓延しているので、もっとひどいですね。

でもアメリカでは更生施設が日本より充実している感じがします。

『依存症は病気だから治療する』という意識が強いように感じます。

(医療ドラマだから当然かもしれません。実際はもっと悲惨かも)

 

私の母方の祖父も、依存症でした。

呑み始めたのは母が幼いころからで

最後は肝硬変で呑めなくなり、私が2歳のとき亡くなったと思います。

なぜか母はこの祖父が大好きで、祖父のせいで家庭はめちゃくちゃで

長年、勉強もままならないような状態だったはずなのに、母の中の祖父のイメージは

『オシャレでやさしいお父さん』のままです。本当に不思議です。

 

私自身も、母に幼少時から振り回され、傷付けられ、40歳間近になった今も

健全な親子関係が築けないまま、ことあるごとにつらい思いをしてきているのに

時折ふっと、母の体臭を思いだして懐かしくなったりするのだから

意味が分かりません。

 

最近はなぜか父も恋しく思い、父と話をしてみたい気持ちになっています。

脳こうそくで倒れた義父が半年の入院後、亡くなってしまい

そのお葬式にきていた人が、義父の一周忌の前に亡くなったり

突然、まだ60歳そこそこの叔父の訃報を聞いたりと

『男の人ってあっけなく死ぬんだな』という気持ちが強くなったからかもしれません。

 

父は昔から仕事を理由に家におらず、わめきまくる母から逃げ回っていた感じで

家に帰りたくない、ちやほやされたいという気持ちから、接待呑みのあと

一人で高級なバーやキャバクラで呑みなおすことが多く

どんどん借金を膨らませていった人間です。

彼は基本的に家では呑まず、呑んだとしても酔わない程度でした。

酔って母に暴力を振るったことなどなかったと思います。

でも喧嘩は四六時中していました。母が吹っ掛けるからです。

 

母はことあるごとに『離婚してくれ』と叫んでは父に食器を投げたりしていました。

父はまともに議論をしようとせず(まあ相手は酔っ払いなので当然といえば当然)

母が一人で家じゅうを破壊して、暴れまわっていた気がします。

そのくせ母は『あんたたちがいるから離婚できない』と言い続けていました。

こどもからしたら、さっさと別れればいいじゃんか、と思っていました。

母は、高給取りの父のお金がなくなるのが怖かったんでしょう。

 

祖父が依存症になり、貧乏で苦労した幼少期のイメージが強かったのかもしれません。

 

 

私の父はお金の管理ができない人です。

住宅ローンと、呑み屋のツケをカードローンを借り回すことでやりくりしていました。

 

結果としてリーマンショック後に首が回らなくなり、新婚の自分たちや、弟

自分の実家の祖母や叔母や、伯母の家族たちにも迷惑をかけました。

その時は祖母が、自分が施設に入るためにとってあったお金を工面して乗り切ったようですが、結局それも借り倒しで返済しないまま祖母は亡くなりました。

 

当時、こども時代ぶりに話す叔母(父の姉で夫は銀行員)に

「あんたのお父さんは頭がおかしい、昔はあんたのお母さんが離婚離婚と騒ぐのがおかしいと思っていたが、今回のことでよく分かった。借金の状況もひどい。

あれは他人と一緒に暮らしていけない男だ」といわれたのを覚えています。

 

それで私から絶縁宣言をしてもう10年近く、連絡を取っていません。

 

数年前に退職を期に債務整理をしたらしく、母の元に債権有無の確認がありました。

(母は弁護士に相談して父の年金を母にいくらか分けるように訴えていたのですが、すべての通告は無視されています)

築15年を過ぎた田舎の実家は価値がないので残ったみたいです。

結果として借金がどうなったのかよくわかりません。

 

自分の学生時代のアルバムなどがまだあるかもしれないので

それを取りに実家にいきたいな、とはずっと思っていますが

弟から聞くに、中は相当悲惨な状態になっているみたいなのでいつ行けるかわかりません。

 

なんだか久しぶりに書くので、文章が支離滅裂ですが。

 

とにかく、↑のブログはアルコール問題に関わる人は一度見てみてほしいブログです。

 

2019年のお正月のこと

結局、2018年春の引っ越しの、飛行機に乗る直前に電話したっきり

2016年夏に下の子が生まれてから、連絡を取っていない状態がずっと

続いている私たち母娘ですが。

 

2019年のお正月。

電話が鳴りました。母の親友で、私もよくお世話になっおじさんからです。

 

てっきりお正月の挨拶かなと思ったら

『お母さんの弟が大みそかに亡くなったぞ。ばあさんが残されたからどうするか、これから困るはず』と。

 

母には3歳下の弟がいるのですが、彼は幼いころに病気で入院したりしてちやほやされすぎて(と母は言っている)社会不適合者になって、30代くらいからニートをやっています。

精神障害ありで障がい者給付金?年金?が出ており、祖母(母の母)の年金と合わせて

それで生活して居ます。

 

 

何年か前に、母に逢いに飛行機で来たことがあり、その時もいろいろトラブりました。

姉弟そろってダメだな、と思ったのですが

とりあえず二人とも昼間から呑んでばっかりでした。

呑んでない時はお金のことで喧嘩して居ました。

 

その、母に逢いに来た旅行のせいで、「なんだあんた動けるんじゃん」と給付のランクが下がって生活が余計に苦しくなり

ナイショでバイトを始めてみるも、年季の入ったニートで体力が追い付かず

何日も寝込んだり。。。とかそんな叔父でした。

 

自分たちが幼いころは、まだ料理人として働いていたりして

チェッカーズよろしくスーツに崩れたリーゼントで、カッコイイ叔父さんだったのです。

母が実家に帰省したときは私たち姉弟ともよく遊んでくれた人でした。

 

叔父さんの死因が聞きたくて、お正月あけに母に電話してみました。

これまで番号とは違うIP電話の番号から。

すると母が不審そうな声で電話に出たので(相手が誰かわからないので)

「わたし。ばーば?」といったら

ーああ、あんた。今、実家。ばあさんをこれからどうしたらいいかわからない。

あんたには、全部終わったら話すわ

「うん、それでいいよ」

 

本当はその日、母の誕生日の前日だったので、そのことも言いたかったのですが

結局お互い無言になり「じゃあね」で終わりました。

 

母にとって、私ってなんなのだろう。

『しっかりしなくてはいけない、母親らしくしなければいけない』という重圧を

与えるだけの存在なのかもしれない、とふと思いました。

 

自分自身が、もう9歳になった上の娘に対してそういうふうに感じるときがあるからです。

母だから、ごはんを作らなくては。

母だから、洗濯をしなくては。

母だから、買い物に行かなくては。

母だから、掃除をきちんとしなくては。

 

でも私には協力的な夫がいるので、本当にしんどいときは彼に丸投げできる。

父は、私たちが幼い時は「風呂に入れてやった」などと言っていましたが

基本的に家にいなかった人です。

真夜中に帰宅して、休みの日は昼まで酒臭い寝室で眠りこけていることが多かった。

もちろんお金のかかるレジャーにも連れ出してくれたことも、ありました。

 

今の私の家庭より、はるかにお金のかかる遊びをたくさんしたと思います。

旅行も多かった。

 

話がとびとびになっていますが。

 

結局、2月の今、まだ私たちは叔父さんの死因を知りません。

88歳くらいの、自分で自分のお尻も拭けなくなってきている祖母が

今どこにいるのかも知りません。

 

叔父の死を、弟は父にお正月に伝えたそうですが

「じゃあ実家に行ったんだ」と聞いたら

「タバコ臭くて嫁が嫌がるから家には入らんねん」だそうです。

お嫁さんはいろいろアレルギーがあり、体も弱いので自宅の衛生管理は徹底しています。

母が実家を出て行ってから10年くらいになりますが、その間、掃除を何回やったのかわからないようなヤニまみれの家には、私でもいられないでしょうね。

 

グーグルのストリートビューで実家が見られますが、庭は見事に荒れ放題でした。

内部はどうなっているのか、恐ろしいです。

 

あっちもあっちで、いろいろありそうです。

 

が、父に次に会うのが彼の葬式では、まずいかなあと最近思っています。

とっても時間が空きました

最後の更新は、下の子が産まれた2016年の夏で終わってると思います。

下の子は2歳になり、最近やっと自分の時間が持てるようになりました。

 

下の子が産まれたあと、一週間もしないうちに

母は通常に戻りました。

 

こちらは産後の体力不足と、寝不足でボロボロなのに

初めて買ったスマホの使い方がわからない、設定してほしいなどと言って

突然家に来るのです。

自分のことさえできない時期に、他人の、まったく知らないスマホの設定なんかできるか!

しばらくいじくってみたけれど、わからないし疲れるので、『買ったお店に聞けば』と返しました。

 

この母にとって、娘はわずらわしいことを引き受けてくれる便利な人間の一人なんだなと

しみじみ思った出来事でした。

 

生まれたてほやほやのかわいい孫にもあまり興味はなく

(よそでは、ジジババが抱かせろと寝てるのを起こしてトラブルになるとかよく聞くのに)

やはり、普通ではないんだな、と。

 

そしてもうあまり覚えていないのですが、前回の記事のような

昼間っからまた泥酔、という事件があったあとからずっとお互いに連絡を取らずにいました。

 

私たちの借りている家は、2018年の春に返却期限が迫っていて

夫がかねてから地元に帰りたい、親に孫と暮らさせてあげたいと言っていたこともあり

下の子が生まれた2016年の冬から、夫の実家から通える範囲の家さがしを

私がずっとしていました。

 

赤ん坊を抱いて、知らない道をレンタカーであちこち回るのは大変でしたが

もともと運転も好きだし、物件みるのも好きだし、楽しかったです。

 

ところが低予算すぎて条件の合うところがなく、1年経っても家は見つからず。。。

なんとか無理やり妥協して売買契約した家は、補助金と修理予算の都合が付かず。

 

結局何十万円か払って解約することになり・・・

 

時を同じくして、倒れて入院していた義父が亡くなり・・・

あれよあれよと、義実家に寄せてもらうことになりました。

 

引越しの日も決まって、さすがに黙って出て行くのはまずいかなと思いましたが

引っ越すことを事前に言ったら、また以前のように(※)酔って

突然乱入してくるのではないかと怖くて

結局、最後の最期、飛行場から電話しました。

 

たぶん母は、あの家を紹介してくれた友人から立ち退きを迫られていることを聞いて

知っていたんだと思います。引越しの日も知っていたかもしれないです。

 

ケータイに電話したら、たぶんホテルの清掃の仕事中で

(あの民泊、やはり協力者Iさんとトラブってサイトから名前が消えていました。わたしがさんざん勧めた、ホテル清掃のアルバイトを今更やりながら、別ルートでお客を取って時々営業しているみたいです)

『引っ越すよ』

ーー「あら、私が死んだ後のこととか話しておきたかったのに。そう。

   あんたこどもも小さくて、今が一番大変なときだから、頑張りなさいよ」

『うん、もう時間だから切るね』

ばーば大好きな上の娘と少し話をさせて、切りました。

 

最後の電話が酔ってなくて本当によかったな、と思いながら7年住んだ土地を後にしました。

 

 

その後も、慣れない土地で私がちょっとノイローゼぽくなったりして、心細くて

時々母に電話しようかなと思ったりもしましたが、やっぱり、もしも酔っていたら・・・という絶望感が怖くて、電話しないまま2019年になりました。

 

私は3つ下の弟とは仲が良いので、寂しい時は彼と時々LINEでやりとりしたりして

あとは、こどもたちに振り回されてバタバタとすごしてきた感じです。

 

長くなるので記事を分けます。

つらかった

先日、無事出産しました。

 

当日は母も駆けつけてくれて、新生児を抱っこしてから帰りました。

翌日と翌々日はおかずをもって家に行ってくれて上の子の世話をしてくれたみたいです。

 

退院当日も食材を買って来てくれて夕飯作ってくれました。

 

ほんと助かるな、と正直思いました。

 

 

昨日と今日は母の民泊にお客さんがきてるのですが

昨日は自分がしんどくて、朝電話したきりあとはLINEでおやすみを言っただけだったので今日、夕方電話してみたのです。

 

そしたらまだ16時なのにろれつが回らず。

でも明日の予定について、うちの用事をやってやろうか?みたいな話を始めたので

酔ってる人と約束してもな、、、と思い

「また明日はなそう」といったら電話がブツっと切れました。

 

 

そしてしばらくして自宅の電話が鳴ったので出たら

「さっきのはどういう意味だ」というのでこれまでのやりとりとか(※)

完全にぶっとんでるんだなとさすがにイラっとして

「あなた酔ってるでしょ。だから話たくないの。」といったら

「そういう意味なの、じゃあもう二度と私に電話してこないで」などと言いだしたので

「電話してきてるのはそっちでしょ、絡まないでよ、じゃあね」と切りました。

 

(※)つい先日も私にとって最大のストレスは母が呑んでいる状況だ、といって母がたいそう立腹したことがある。

その前に、1年も頑張ったのにスリップが続いたときにも、今後日常的に呑むようになるなら、付き合い方もこれまでと同じには出来ない、疎遠にする、と宣言してある。

 

それで、なんだかドっと落ち込んでしまって。

 

怒りはなかったです。それはたぶん二度立て続けにスリップした時に、自分の中で

「ああもうこの人は本当に病気なんだな、断酒は無理だな」と悟ったので。

自分の中でなにかが終わって、母をみる目に太い一線が引かれたんです。

絶望、といってもいいかもしれない。

期待するのをやめた、という言い方もできるかもしれない。

 

 

 

でもね、今、母は自分がやりたかった民泊をやっとはじめたところで

3組目くらいのお客さんが来ているのに、そういう状況でなぜ呑むんだよ、と。

結局酔ってまともな接客はできないわけで、それでレストランもダメになったようなものなのに。

また同じこと繰り返すんだなーと。

そして原因が自分の酒にあると認めず、周りの協力してくれた人のせいとかにして

愚痴を垂れ流すんだろうなーと。

 

それでがっくりしたのがひとつ。

 

それと、自分が優しく適当にごまかして、また明日ねー♪って電話を切っていたら

母に「二度と電話してくるな」というセリフを吐かせずに済んだ=飲みたくなる理由を提供しなくてよかったのかなーとかおもってしまって。

 

なんで私が罪悪感を抱かなきゃいけないんだろう、私が間違ってるのか。

明るいうちから、しかも客が来てるのにろれつ回らなくなっていても

いいよいいよと許せばいいのか、となんだか自分が悪かったような気がしてきて

すごく辛くなってしまって。

 

ツイッターにそれまでの状況をツイートしてたんだけど

「だれか私は悪くないって言って」って悲鳴をあげてしまった。

 

そしたら、時々おしゃべりする、ツイッタでしか面識のない人がレスくれて。

 

「あなたと母親は別の人生を生きている、別の人間なんだよ。

あなたはこどもたちのおかあさんであって、母親のおかあさんではないんだから、

母親の行動に罪悪感を持つ必要なんてないんだよ」って書いてくれて。

 

久しぶりに熱い涙がこみあげて、ブワーと泣きました。

 

たまたま夫もこどもも散歩に出ていて居なくてよかった。

 

少し泣いたらすっきりしたので顔を洗って夕飯を作りました。

 

 

私、幼稚園の頃からです。母のアルコールに振り回されるの。

もうアラフォーなのに、いったいいつまでこんなことが続くんだろう。

 

母とのやりとりの電話も、小学生になる娘が聞いていました。

内容も理解してると思います。記憶に残ると思います。本当に嫌だ。

 

母は認めないけれど立派な依存症です。治療はしないでしょう。

私も説得する気はありません。

だから自分と家族を守るためには、離れるしかありません。

今は物理的に近くに住みすぎているので、絶縁はできないけれど私はいつしてもいいと思っています。

だってもうしんどい。

 

死ぬまでこんなことを繰り返すなんてまっぴらだ。

 

最近弟は母に「断酒失敗したんやて?姉ちゃんが愚痴ってたぞ、呑むのはかまわんけど、ほどほどにな」と言ったそうです。

近くに住んでないから言えることです。

自分が一緒に実家に住んでいた頃にはあんなに母を毛嫌いしていたくせに。

断酒前、酔って毎晩のように職場に電話してきていた頃は母を嫌悪していたくせに。

 

弟は、うちのダメな父親と交流があります。

なんだかんだ言っても、父と連絡を取っているようです。

私はもうながらく絶縁しています。

 

なんとなくどこかで父の世話は近くに住んでいる弟がするんだろうと思っています。

ということは母の世話は、近くに住んでいる私がしなくてはいけないのかなということになります。

 

でも、もうそういう「しなければならない」は捨てたい。

 

親だから、こどもが必ず面倒を見なければいけないわけではないでしょう?

 

今日は本当に落ち込んだので、もう母のことなんて考えたくもないけれど

 

母がシラフのときは本当に好きなんです。

 

でも、一度呑んだらもうダメ。わたしを罵倒するばかり。呪うばかり。

 

母がアルコールとさよなら出来ないのなら、しんどくてとても一緒にいられない。

 

何回いっても伝わらないみたいですしね。

 

きっと私が母のことで自殺まで考えていた時期があったことだって知らないんだろうし

自分の酒が原因で、こんなに私を苦しめていることなんて理解しようともしないんだろう。

 

今日はまとまらないけれど。

 

今日も断酒、継続している方はほんとうにえらいです。尊敬します。

明日も頑張ってくださいね。